父方の祖母が90歳を前に他界した。
あと一週間で90歳だったのに。
お誕生日のカードを送ろうと思ってたのに、間に合わなかった。
母と二人、お葬儀のために帰省。
この数日少しばたばたしたけど、叔父が仕切ってくれたのであっという間に終わってしまった。
祖母が長く生活し、父が生まれた街は広島の小さな酒蔵の町で、久しぶりに戻ったらやっぱりお酒の香りが漂っていた。
祖父は、原爆ドームにあった広島県の土木課にいて、でも、ちょうど原爆が落ちた日は4度目の徴集で山口にいたから、被爆はしなかった。けど、山口から山陽線で戻って、翌日には街の人と連れ立って救援に市内に入ったから、二次被爆で白血病系だかの癌で亡くなっている。叔父は、あんなに元気だったのに、急に癌で死んだから、あれは原爆のせいだろうと思う、と話していた。
祖母は嫁いで70年、祖父が他界してから40年、長い長い一人身の生活をし最後まで酒蔵の町と長屋の家を愛し、広島を離れることを嫌がった。
町は近年の開発で一変し、酒蔵の白い土塀とコンクリートがごちゃまぜのちぐはぐの街になってしまった。父の実家も裏は木造の長屋だけど、通りに面した表は軽量鉄骨の見苦しい姿になってしまっている。街並みを自ら壊していることになって、とても残念。残念を通り越して、有り得ない。
お葬式のとき、長く祖母が法要をお願いしていた菩提寺のご隠居と住職が、私の知らない、父の実家の話をしてくれた。法要と墓参りを欠かさなかった祖母、祖父の祖父が菩提寺の再建に土地を提供した、とか。割と町内の中心的存在だったらしい。そんなことも、離れた東京で暮らしてたら、ぜんぜん知らない。家族って、離れて暮らしたらだめなんだと、実感した。
長い前置きだけど。
ひとしきりお葬儀が終わって、四十九日までお骨を預かってもらうために、改めてお寺を訪ねた。いろいろ話が済んで、そろそろ、という時に、住職がおもむろにお堂の話をし始めた。
実は、お堂の天井と床下がもうがたがたで、修理するより建て直した方がいいということになった、と。それで、祖母にも協力をお願いしたいと連絡をしようとしていたのだけど、家にいないようだし困っていたところだった、と。
どうやら、祖父の祖父が再建を手伝ったとき、曳き家をして今ある場所に移したのだが、その時の大工の腕がよくなかったらしく、シロアリ被害やら、腐ってるやらで、天井も床下もぼろぼろらしい。それと、お堂の大きさにくらべて柱が細く、現代で言うところの構造計算的にもダメということになったらしい。
建立100年、移転して100年。
でも、腐ってしまったから、今回修理しても、せいぜい100年持つか持たないか。
その時、住職ははっきりとこう言った。
100年しか持たないのなら、建て直した方がいい。
未来永劫に続いていく教えに、100年しか持たない建物なんて。
これまで、父の実家についてあまり関心がなかったことを恥じるとともに、こんな住職がいる菩提寺で少しほっとした。
それと、住職は続けて真顔でこう言った。
木造の建物を建てるのに、建築基準法がうるさくて排煙とかたいへんなんです、と。都会のビルじゃあるまいし、お堂なら戸を開ければどっちの方向にも逃げられるのに、と。
これには苦笑いするほかなかった。
自分の代で建て替えになるなんて、とおっしゃる住職。
がんばれ、住職!
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