オーストリアの歴史やら都市計画の歴史やら、調べ始めると結構時間かかりそうだし、
ひとまず、DVDの内容を紹介。
- 1896年 ワグナー50歳
- 2年前の1894年に、地下鉄駅の建設担当となる
- ウィーン前衛建築の立役者
- 王室を敬愛しつつ、前衛的な絵画で有名なクリムトやシーレとも交流があった
googleマップより、ウィーン
川を背に、半弧状に旧城壁が旧市街地を囲んでいた
赤い囲いが郵便貯金局のある場所
- ウィーンの目抜き通り、リンク・シュトラーセ
- 旧ウィーン市街地を一周していた城壁を撤去、1858年~1865年に造られた環状道路
- 跡地には、オペラ座、市庁舎、劇場、大学などが、ウィーン帝国の繁栄を表す形で造られた
- しかし、ネオルネッサンスなど各様式で建てられた建物を、古いと批判したのもワグナー
- 郵便貯金局の建設地はリンク・シュトラーセの端で、周辺はまだ整備されていなかった
- リンク・シュトラーセに面する小広場の奥まったところにある
- 1880年創立の郵便貯金局
- 大資本家相手でなく、一般市民のための銀行
googleマップより クローズアップ
画面下の大通りがリンク・シュトラーセで
小さな広場を介した奥にある5角形の建物
- ワグナーの案がコンペで優勝
- 左右対称で、5つの中庭が光を取り込む
- 建物は二期にわたって建設 着工1904、完成1906(驚異的な速さで竣工)
- 壁にレンガを積み、薄い大理石や化粧板で覆う
- 時間の節約のため、新形式を創造し、同時に時代の要求する様式に合わせた
- 独自の外壁装飾法、レンガ壁に化粧石板をはり釘の頭の装飾
- 石板はモルタル貼りなので釘は必要なくただの飾り
- 正面だけ装飾し、他の面は装飾なし
- 原案はもっと華美だったが、合理化された
- 1~8階まで、窓の大きい近代オフィスの走り
- オープンスペースで壁がなく、仕切りを用いる
- 男女トイレ・更衣室など、衛生も考慮された
- 内装もトーンがそろえられ、コンクリート、リノリウム、大理石、アルミニウムなど清掃しやすい素材が多用された
- 有名な出納ホール(よく写真で見るホール)
- 当時の銀行の窓口は、ガラス天井のホールにあるのが通例で、そのスタイルが踏襲された
- 原案のガラス屋根は中庭自体を覆う予定だったが、建物の嗜好に合わないと撤回
- 最上階から中三階になり、周囲の壁が光を反射するスタイル
- ホールの構造は独特
- 身廊が高く側廊が低いバジリカ様式に似ている
- 工場や展示場 駅の建築に多く使われてきた形(駅舎を設計したことのあるワグナーならでは)
- 窓口は工場並みに機能的
- 地下に光を届けるための、ガラスブロックによる床
- オーストリアで開発されたアルミは時代の先端
- 鉄柱をアルミで覆い、鋲で留めたように見せた
- ワグナーの建築はその実用性によって選ばれた
- また、自由で国際的・ユダヤ的な旧来の銀行に 拮抗しようという意欲が垣間見える
最後の二行が、なんつーか、時代を物語っていますが・・・
DVDによると、当時、ユダヤ人資産家たちによる銀行に対抗した形で、貯金局が建設されたと。
反ユダヤの象徴だったと。
この郵便貯金局の完成が1906年ですからね・・・
その後、ドイツともども、よろしくない方向に行ったわけですね。
クリムトの有名な金箔の絵画も、もともとはユダヤ人豪商によって生み出されたわけですが・・・
それが故に、第二次世界大戦の惨事を呼ぶ形になったと・・・
その渦中の建物であった、という意味でも、印象深いです。
いろいろ勉強になりました。
ちなみに、グーグルマップでは、この建物が建つ辺りはストリートビューがないようです。
旧市街地に囲まれたエリアなので、日本でいうところの皇居と丸の内~有楽町界隈、みたいな雰囲気ですけども・・・
どうも、旧市街の一定の範囲は、歩行者専用道路にしてるからではないかと想像します。
ちがったらごめんなさい。
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