2016-01-24

Otto Wagner ウィーン郵便貯金局 その2

その1からつづきます。

オーストリアの歴史やら都市計画の歴史やら、調べ始めると結構時間かかりそうだし、
ひとまず、DVDの内容を紹介。


  • 1896年 ワグナー50歳
  • 2年前の1894年に、地下鉄駅の建設担当となる
  • ウィーン前衛建築の立役者
  • 王室を敬愛しつつ、前衛的な絵画で有名なクリムトやシーレとも交流があった

googleマップより、ウィーン
川を背に、半弧状に旧城壁が旧市街地を囲んでいた
赤い囲いが郵便貯金局のある場所
  • ウィーンの目抜き通り、リンク・シュトラーセ
  • 旧ウィーン市街地を一周していた城壁を撤去、1858年~1865年に造られた環状道路
  • 跡地には、オペラ座、市庁舎、劇場、大学などが、ウィーン帝国の繁栄を表す形で造られた
  • しかし、ネオルネッサンスなど各様式で建てられた建物を、古いと批判したのもワグナー
  • 郵便貯金局の建設地はリンク・シュトラーセの端で、周辺はまだ整備されていなかった
  • リンク・シュトラーセに面する小広場の奥まったところにある

  • 1880年創立の郵便貯金局
  • 大資本家相手でなく、一般市民のための銀行
googleマップより クローズアップ
画面下の大通りがリンク・シュトラーセで
小さな広場を介した奥にある5角形の建物

  • ワグナーの案がコンペで優勝
  • 左右対称で、5つの中庭が光を取り込む
  • 建物は二期にわたって建設 着工1904、完成1906(驚異的な速さで竣工)
  • 壁にレンガを積み、薄い大理石や化粧板で覆う
  • 時間の節約のため、新形式を創造し、同時に時代の要求する様式に合わせた

  • 独自の外壁装飾法、レンガ壁に化粧石板をはり釘の頭の装飾
  • 石板はモルタル貼りなので釘は必要なくただの飾り
  • 正面だけ装飾し、他の面は装飾なし
  • 原案はもっと華美だったが、合理化された

  • 1~8階まで、窓の大きい近代オフィスの走り
  • オープンスペースで壁がなく、仕切りを用いる
  • 男女トイレ・更衣室など、衛生も考慮された
  • 内装もトーンがそろえられ、コンクリート、リノリウム、大理石、アルミニウムなど清掃しやすい素材が多用された

  • 有名な出納ホール(よく写真で見るホール)
  • 当時の銀行の窓口は、ガラス天井のホールにあるのが通例で、そのスタイルが踏襲された
  • 原案のガラス屋根は中庭自体を覆う予定だったが、建物の嗜好に合わないと撤回
  • 最上階から中三階になり、周囲の壁が光を反射するスタイル
  • ホールの構造は独特
  • 身廊が高く側廊が低いバジリカ様式に似ている
  • 工場や展示場 駅の建築に多く使われてきた形(駅舎を設計したことのあるワグナーならでは)
  • 窓口は工場並みに機能的
  • 地下に光を届けるための、ガラスブロックによる床
  • オーストリアで開発されたアルミは時代の先端
  • 鉄柱をアルミで覆い、鋲で留めたように見せた

  • ワグナーの建築はその実用性によって選ばれた
  • また、自由で国際的・ユダヤ的な旧来の銀行に 拮抗しようという意欲が垣間見える

最後の二行が、なんつーか、時代を物語っていますが・・・
DVDによると、当時、ユダヤ人資産家たちによる銀行に対抗した形で、貯金局が建設されたと。
反ユダヤの象徴だったと。

この郵便貯金局の完成が1906年ですからね・・・
その後、ドイツともども、よろしくない方向に行ったわけですね。

クリムトの有名な金箔の絵画も、もともとはユダヤ人豪商によって生み出されたわけですが・・・
それが故に、第二次世界大戦の惨事を呼ぶ形になったと・・・


その渦中の建物であった、という意味でも、印象深いです。
いろいろ勉強になりました。

ちなみに、グーグルマップでは、この建物が建つ辺りはストリートビューがないようです。
旧市街地に囲まれたエリアなので、日本でいうところの皇居と丸の内~有楽町界隈、みたいな雰囲気ですけども・・・

どうも、旧市街の一定の範囲は、歩行者専用道路にしてるからではないかと想像します。
ちがったらごめんなさい。

いつか行ってみたいです。



もうちょっと詳しく見たい方は、こちら → 建築マップ オーストリア「郵便貯金局」
写真がとてもきれいです。

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