東京都被災建築物応急危険度判定員に登録して、早三年。
登録した時の話は 登録前 → 講習会後 → 中間層崩壊
で。
所属の特別区では、この三年、連絡があったのはたったの二回。
いや、三回あったかな?
ほぼ忘却の彼方。
今回建築士関係の方が主催で、区役所の関係課の方を含めて勉強会をするというお知らせがあったので、ほとんど地域活動をしてない私もオッカナビックリ(?)参加してきました。
基本的には、被災建築物応急危険度診断士は、「二次災害防止」のためのもので、一級建築士、二級建築士、木造建築士が職能を活かして、災害を少しでも少なくするためのものです。
長期的な建物の使用に関しての診断はしません。
で。
今回知ったこと。
- 東京の避難所はキャパシティーが少なすぎて、長期の宿泊避難は不可と考えていた方がよい。
- 東京が被災した場合、外からの援助がくるのに速くて1週間はかかると考えられていて、その間自力なり共助しつつ生き延びる必要がある。
- 避難所に指定されている場所が、必ずしも安全とは限らない(阪神淡路大震災・東日本大震災の際も避難所自体が被災し、人命が失われている)、建物の安全は刻々と変わる。
- 行政側からは、地域の避難所(学校の体育館など)が、避難所として当面機能するのか、避難して安全かどうか、有資格者による判断が期待される。
- 災害が起きた場合、自宅付近にいるとは限らない、職場で被災した場合、現場に出ていた場合等に、どう行動すべきかを普段から意識する。
- 東京で怖いのは、地震の後の火事。風向きによっては、火の粉が飛び、延焼がかなり広がる。
勉強会の講師の方がおっしゃってた、東日本大震災の際のハナシ。
- ある地域で、避難所に指定された学校が耐震化が終わっていないところだった。
- 校長先生が、ここは耐震していないので避難所として使えないと言って、住民避難を断った。
- 夕方になり、雪が降りだして、津波でずぶぬれになった人たちが凍死する危険性が出てきた。
- 自治会長の責任で、避難所として使うことを決めた。
- 要介護、介助の必要な人が建物の1階。
- 足腰の元気な比較的若い人たちは、建物の2~3階。
- 子供たちは、校庭にテントをはって、安全なところで寝た。
こういった切羽詰まった際の臨機応変な判断が、被災した場合に求められるんです、とのことでした。
- 一度避難した避難所に火の手が迫って、再避難した(神戸長田地区)。
- 津波避難所に指定されていた建物自体が被災した(東日本大震災)。
- お年寄りは、判断がにぶく、ほぼ倒壊している建物の中にいても動けなくなる。
- 要介護者の避難と、介護する側の安全とのバランス。
ワークショップで話題に出たこと。
- 区内の建築士は大量にいるはずだが、登録してるのはかなり少ない?
- 一般的にも、応急危険度判定士の知名度が低すぎる。
- 登録はしたけど自分たちも何をすべきなのか、どう動くべきなのか把握していない。
- 実際に自分たちが被災した場合、活動できるのか?そもそも集合場所にたどりつけるのか?
いろいろ無防備すぎるーーー
っていう感じでした。汗
区内をさらに小エリアに分けて、ワークショップしたのですが、これまた人数少なくて心もとなし。
しかも、みな自宅と勤務地もばらばら。
果たして、連絡がつくのか!?状態。
私が住んでるエリアは、いわゆる木密地域と呼ばれる、老朽化した木造密集地。
消防車も入れない、避難所もないエリアは、不燃化特区、と呼ばれています。
地震後の火事対策が重要だなーとか。
中越地震、東日本大震災の場合は、民間の建築士が行くことはほぼなく、被災した地域の周辺の行政担当者が向かったそうで。
私が登録した時にも、COLOさんがコメント欄で教えてくださってました。
しかし、東京はあまりに人も建物も多すぎる。
他からの援助はないと思った方がよいなーと。
とてもでないけど、消防車も入れない、避難所もないところも多くて・・・
自分たちでやるしかないなと。
今回、顔合わせの意味もあったわけで、その意味では参加した意味がありました。
が。
私自身、体力ないし、耐震に対する知識も少ないし、どこまでお役に立てるのか・・・
そんなこと言ってる場合か?
有資格者として、対応できるように準備しなきゃですね。
明日は、耐火に関するウラ指導の法規講習会。
講師のありさんご指名で、参加いたします。
満席だそうです。
気合い入れて、がんばります。
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