2017-07-04

世界遺産登録記念 ル・コルビュジエと前川國男

展示とシンポジウム「ル・コルビュジエと前川國男、日本のモダニズム」を聞きに、江戸東京たてもの園へ行ってきました。
半分以上は、江戸東京博物館館長のフジモリセンセー目当て(ファン)。
というか、たてもの園の建物選定は、センセーがずっとやってこられたから、近所に住んでいたおかげで、建物見によく通いました。
前川國男自邸が一番好き。

http://www.tatemonoen.jp/special/2017/170530.php

さて。
ル・コルビュジェと言えば。
試験の時に断片的に覚えた内容多々・・・
=ル・コルビュジェと前川國男のお二人は、建築史上も超重要。
だから、試験にも出る、出る。

また、去年(平成28年)世界遺産に選定された経緯もあって、展示もかなり気合いの入った、中身の濃い内容でした。
(たてもの園の特別展会場はそんなに広くないので、余計詰まって見える!?)


合格物語で「コルビュジェ」調べると、10、11、12、15、20、22、24、25、28年と出題がありますので・・・。
この試験を受ける限り、コルビュジェについては嫌でも覚えざるを得ないー
今年はどうでしょうね。苦笑

とりあえず、一つだけ貼っておきます。

「近代建築の五原則」

  1. ピロティ
  2. 屋上庭園
  3. 自由なファサード
  4. 水平連続窓
  5. 自由な平面
もはや呪文・・・(コラ
平成22年に出題されていますので、ご確認を・・・


ちなみに、屋上庭園についてのこぼれ話ですが・・・
フジモリセンセーが、ユニテ・ダビタシオン(平成22年出題)の屋上庭園を見に行った時の話。
一生懸命探したんだけど、全然なくってね、端っこの方にチョロッと。本人も、屋上庭園って言っちゃった手前、止めるわけにもいかなかったんじゃないかと。ははは
世界遺産の登録に関わっていた山名善之先生(東京理科大学教授)いわく。
西洋美術館でも、すぐに枯れてしまったらしくて、コルビュジェ本人に連絡したら、「そのままにしておけ」となったと言われている。

今回のパリ旅では、コルビュジェ財団のあるラ・ロッシュ邸に行こうとしたタイミングで休日だったので・・・
ロンシャンにはいつか行ってみたい・・・
またいつかのフランス建築見学旅のためにとっておきます。


―――
話戻しまして。
以下は、展示会とシンポジウムの感想です。


特別展では、1/3くらいがコルビュジェの展示、残りが前川國男氏を始めとする弟子たちの展示。
手描きの原図や資料は撮影不可なものが多く、ちょっと残念・・・
機会あれば、もう一度見に行きたいです。


シンポジウムは、こんな感じ。(出題年数は、合格物語から調べています)
  • コルビュジェの特異性(情感・思想を言葉に残す)と時代背景
  • W・グロピウスの機械工業的な感じとコルビュジェの抒情的な感じの違いと、それぞれのマネのされ方、広がり方
  • 建築の流行り廃れ
  • フランス語の影響力がなくなり、英語をしゃべる人口が増えていった時代の話
  • CAIM(近代建築国際会議、平成10年出題)の話
  • 活動初期時代の冷遇期と、世界中から集まった弟子たちの話
  • フランスはともかく、なぜこうもコルビュジェの作品が日本とブラジルに多いのか
  • 日本人弟子(前川氏、坂倉準三氏、吉阪隆正氏)を始め、世界に与えた影響
  • 世界遺産に選定された経緯
  • コルビュジェの案を、どのように西洋美術館と東京文化会館に落とし込んだのか
  • ドミノシステム(平成10年出題)は、柱と床版しかなく「梁」という概念がない
  • 広島ピースセンターを設計中の丹下健三氏が、ユニテ・ダビタシオン建設中に訪れて、丹下氏なりのピロティと梁の関係を解決した話
  • 近代三大巨匠(ライト、コルビュジェ、ミース)やアントニン・レーモンドと、日本の各弟子の影響の受け方、相関関係


全部は忘れちゃったな・・・
また思い出したら、追加しておきます。

フジモリセンセーは、軽快な語り口で、ぽんぽん専門用語を使いながら、一般の方に専門用語を使うことを全然気にする風でもなくシンポジウムは進みました。
建築専門でない方は、わからなかった部分もあったのでは。笑

ミッチリ、コルビュジェにまつわる近代建築史の講義を聴いてるみたいで・・・
はぁぁ・・・
おもしろかったなぁ・・・

同時多発的に、パリ(アール・ヌーヴォー)、オランダ(デ・スティル)、オーストリア(ウィーン分離派)、ロシア(アヴァンギャルド)、そしてドイツ(工作連盟)などで起きた近代化運動。
そういった解説も拝聴できて、とてもよかったです。

特に上野の西洋美術館(H28年バツ問の答えとして出題他)と東京文化会館。
戦争が終わった後の復興期に、日本には文化的な活動が必要だという考えを、音楽ホールと美術館というカタチに具体化したものだそうですが。
その発想自体が、文化芸術を愛するフランス人らしいなーと聞いてて思いました。

そのイメージを尊重するのであれば、
西洋美術館と東京文化会館の間は、今のような上野と噴水広場を結ぶ通路で分断するのではなく、一体の広場だったらよかったのに・・・
しかも西洋美術館側にも柵があるし・・・



上野の前川建築一式(笑)は、私が生まれた時にはもうすでに建っていたし、特別な思い入れもなかったのですが。
そういえば、卒業論文の敷地が江戸期の上野寛永寺も含まれてたっけなーとかいろいろ思い出して、妄想が広がってました。


上野の国立博物館のコンペ案とか、西洋美術館、東京都美術館、東京文化会館と。
近々、上野の展示みがてら、また建築ツアーしたいと思います。

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